飯田線 中部天竜駅 駅舎
中部天竜駅は、つい最近まで佐久間レールパークという飯田線沿線最大のテーマパークが併設されていたが、現在は閉鎖され、少し物寂しい佇まいを出していた。今日は3連休の最終日、もしこの施設があればもう少し賑わっていたと思うが、ここで降りたのは私達を含め数人だった。レールパークの車両は、ほとんどがシートをかぶった状態で眠っていた。
ここからはまず三信鉄道殉職碑へ向かう。駅前の道を右方向に歩くと佐久間小学校が見えてくるが、今日は祝日にも係わらず花壇の手入れをしている生徒がいた。この近くにあることは調べてきていたし、車窓からも確認することが出来たので難なく発見できた。裏側には犠牲者の名前が彫られていたが、その名前を見ると日本人の名前に混じって朝鮮民族の名前も混ざっている。事前調査によると、当時日本に強制連行されてきた人たちがここで多く犠牲になっているようだ。近くに桜の木もあり本当に綺麗な所だが、この景観の裏に尊い犠牲があったことを我々は忘れることなくこのことを伝えて行かなければならいと思う。
この次は、失われた路線の遺構を探す。
殉職碑を後にして遺構探索は始まった。まず飯田線橋梁に張り付いた狭い鉄橋を渡る。行き違いも厳しいようなところである。遺構は、ある程度調べてきたが中々見つからない。佐久間町をうろうろしたので何か変なグループと思われただろうか?敷地内に入らないと確認できないだろうか?大体ここら辺だと思っているところを確認できる場所を探す。
県道側から覗き込むと。「あった!!」
右の写真ちょっとはっきりしないが、鉄道トンネルの遺構である。
戦後日本の電力需要はどんどん大きくなって行き、電力不足が顕著になってきた。それを解消するため佐久間ダムが計画された。それにより飯田線の一部(佐久間-----大嵐)がダム湖に沈むことになった為佐久間----大嵐間に新線を通すことが決定、旧線は廃線となった。このトンネルは当時飯田線最長のトンネルで、まっすぐ佐久間ダムに突っ込むようになっている。現在は佐久間発電所の敷地内にある。
飯田線 旧線 隋道遺構
飯田線 佐久間駅 駅舎

遺構探索後は、佐久間町を散策しながら佐久間駅に向かう。
←佐久間駅は見てのとおり小洒落たデザインの駅舎である。図書館も併設されているが営業は平日のみとなっている。無人の駅に図書館だけ営業と言う状況を是非体感したかったのだが、次回に考えよう。

今日は本当に天気が良い。桜も沿線にちらほら咲いて最高の一日になった。鹿事件さえなかったら二度と無いような最高の一日だったと思う。
聞くところによると今回参加者の一人が鹿をいじめていたようだったのでその呪いか!!

まったりとした時間が過ぎる。

次は天竜峡に向かう
佐久間駅へは先に豊橋行きがやってきた。カメラを構えていると、後方の車両の色が違う!!リバイバルカラーだ!!
でも、逆向きだ〜〜残念!!!

それでも写真をバチバチと撮った。

次の天竜峡行きはこの列車と中部天竜駅で行き違うことになる。

やがて天竜峡行きがホームに滑り込んできた。



続く
飯田線 119系電車
続く travel Home